吃音はひょっとすると自分の味方なんじゃないかって最近思うんだ

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吃音とはかれこれ20年以上の付き合いで、昔は嫌な思いばかりしてきたんだけど、最近考え方が少し変わってきたので書いておきます。こんな考え方もあるんだ程度に見てもらえると嬉しいです。

吃音さえなければ何でもできると思ってた学生時代

学生時代は年がら年中吃音のことばかり考えてて、これさえ治ればなんでもできるってホントに思ってた。

でも、そう思えば思うほど吃音の呪縛にハマっていった気がするなー。音読とか死ぬほど嫌だったもんね。手汗びっしょりで心臓が口から出てきそうだった。

ただ、唯一部活だけは吃音のことを忘れることができる貴重な時間だったかも。だから厳しい練習にも耐えられたし、何年も続けられたんだと思う。何歳になっても損得勘定抜きで話せる親友もできたし、部活はほんとやってて良かったな。

話せる言葉が有限だと思ってた

他の吃音持ちの方はどうか分からないんだけど、言える言葉が有限な気がするんだよね。毎日手持ちのカードが少なくなっていく感じ。この恐怖ったらないよねー。昨日までスラスラ言えてたことが今日言えないとかざらにあるから。

カラオケだけはなんで普通に歌えるんだろうって思ってたけど。不思議だよね。

もし自分が流暢に話せたとして

ほんとに何でも自分の思い通りにいく人生になったのかな?

仮にいまの奥さんのことを言葉巧みに口説いてたら、誰にでも同じことしてるんでしょって、全然信用してもらえなかったかもしれないし。たどたどしいながらも精一杯プロポーズしたからOKもらえたのかもしれないって思うと、吃音って言うほど悪いやつじゃないのかもって思うようになったのね。

いまのささやかながらも幸せな生活は、吃音があったからこそのものなのかなって。

かなり良いように解釈してるかもしれないけど 笑

それからは多少なりとも吃音と寄り添えるようになった気がするな。

結婚してから考え方が変わってきた

こんな自分でも嬉しいことに結婚して子どもができて、一家の主になると少なからず責任感って出てくるのよ。どうにかして奥さんと子どもを幸せにしなくちゃいけないって。

そうなると吃音のことなんて考えてられないの。吃音のことを考える時間があったら家族がどうすれば幸せになるかを考える時間が増えていったんだよね。自分の大部分を占めてた吃音が小さくなっていくのが分かったんだ。

その結果、話すのが少しずつ嫌じゃなくなって、今日いつもより話せるぞって日が増えてきてビックリした。

もちろんいまでも全然どもるんだけどね 笑

ただ、前に比べて周りの反応もそこまで気にならなくなってきたし、吃音と共生できてるのが身をもって分かってきた今日この頃です。

さいごに

いままで言語聴覚士の先生がいる病院に通ってみたり、fMRIで脳の動きを調べてもらったり色々してきたんだけど、結局のところ治らなかったのね。

当時はヘコむにヘコんだけど、吃音を無理に治そうとしなくなってから、ちょっとずつだけど良くなってる気がしてます。

これからもこの好循環がずっと続けばいいな。

他にもこんな記事書いてます

「嫌われる勇気」は吃音に悩む人が読むべき一冊

2016.04.05

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